2節終了から3節へ
2011-09-17(Sat)
なにやら残暑がすごいことになってますね。
そして久しぶりに勝手な解釈の合戦話です。
こちらの話も全然進まないので、記憶だけで記事を書くことに。
たぶん2節終盤まで書いた気がするので、その辺から。
…実際と違うってことがあってもご了承を…。
2節の泰山魏は、終盤もほとんど勝てずじまいで終了でした。
ただ最後の頃は、各連合の錬度も上がり、連合同士の連携も徐々にうまくなったと思います。これから魏が強くなるって予感は十分ありました。終盤戦はそんな兆しがあった気がします
さらに移籍期間に他国からの移動などもあって、3節に入ると、魏は連合も増えて勢力が増大しました。2節にあれだけ負けてたのが嘘のように、勝てるようになっていました
そんな魏についてですが、当時の連合がどのくらいあったのかまではわかりませんでした。でも結構な数の連合募集があったのは見ました。多数の連合の中で、私はこの頃すでに某○神連合に腰を据えて遊んでいました
当時○神連合は単体でも結構な人数だったのですが、他のいくつかの連合と連携を取っていたため、実際にはかなり大きな集団になっていたと思います。
また迅速な行動であちこちで戦闘を繰り広げていた2つの有名な連合さんがいました。他にも大きな連合がいくつかありましたが、当時の私にはどういうタイプの連合さんだったのか把握しきれていません…
とにかく魏全体として見ると層が厚く、神出鬼没の連合もいてとなかなかな大勢力だったと思います
ここで、各連合についての詳細がわからないので、○神連合に関する話でも書いてみます。
私が○神連合にお世話になり始めたのは二節の中盤くらいです。おそらく連合設立からしばらくした頃じゃないでしょうか?○神連合に行きついた経緯は以前にも書きましたので省きます
当時の鬼神連合は、どちらかというと○○ぃ連合さんや○気眼連合さんに近いスタイルだったと思います。どちらも妖術党首の戦法に合わせた連合?だったでしょうか。この時はまだ飛散陣形の祝福が周囲全員対象だったのもこのスタイルだった理由だと思います
当時から妖術をやっていた私にしてみると、凄くやり易い連合スタイルでした。そんな私も最初の頃は党員で遊んでいましたが、気がつくとたまに党首になっていたりもするようになりました。
大事な役を与えられるとやる気が増しますよね
やる気になった私は、先頭気味に特攻してさっさと逃げるの繰り返しをしてました。これをすると余程のことがない限りやられることが少ないからです(名声が高い方は除きます
)
そうこうして月日が経ち2節終了になります。そして3節に入った頃か、もしくは3節途中の祝福効果が党員のみに変更になった頃に、○神連合はスタイルの変化が見られました。おそらく連合内に近接職の方が増えてきたのがきっかけだった気がします。
この時のスタイル変化は、双剣党首の戦法である猛進のリキャストに合わせた高速突撃です。これ結構と強かったと思います。連合所属で見ている分には、前線で戦っている双剣さん達が不思議と生き残っていました
(すみません、不思議だったのです
)
なので、猛進突撃時にあまりやることない私は、後ろから回復波投げたり浄化で遊んだりしていました
これはこれで楽しかったですね~。
…なぜ最前線に立たないのかって…?
臆病だからです、戦法無しで突っ込むなんでできません
それはそうと丁度この頃から、私は第二盟主(後のレーヴァティン)を任されることが増え始めたと記憶してます。きっかけはいくつかあるのでしょうか?
・祝福改変と同時に部曲連合が実装
→私の所属部曲が盟主さんのいる部曲連合に参加
・合戦時に連合へ双剣等の近接職方を積極的に募集?
→本体連合から妖術が切り離し(栄転)されることが増えた
・暗黒時代の影響で魏国の衰退が…
→?
またこの頃、他のサーバの方々が合戦時に参加して下さっていて人数が増えたことで新規一転?など、色々ある気がします。細かいことは気にしない方向で
そんなわけで妖術やっていると突撃時に必ずしも戦法があるって訳ではなくなるので、そのあたりの意識改革が必要にもなりました。
で、役職も変わりスタイル変更にも対応しないといけないため、合戦時のマクロを増やして連合員さんが分かりやすいように努めたり、戦況を理解するために視野を広げるようと色々と見たり考えたりするようになった気がします
失敗するのは怖いことですが、やりがいがあるのは面白いことでもありますよね
(失敗しても○神さんの人選ミスってこt(ry
)
そんなこんなで他国のフレさんからも自国の方からも、なぜか硬いと言われるような○神連合に変化しました。これが3節中盤から終盤にかけての話でしょうかー。
ちなみに私の理解では、この数秒間の堅固な守りにより生じた敵のおびき出しが、他の魏連合の突撃タイミングのきっかけになっていたんだと思います。これが魏独特のどこから飛んでくるかわからないホーミングミサイルの如く怒涛の波状攻撃に繋がったのだと勝手に思っています
嘘かホントかわかりませんが、3節の合戦はこんな感じだったと思います。
なんにしても、この頃の連合や自分のスタイル変化については、色々なことを試行錯誤していた時期の1つかもしれませんねー
そして久しぶりに勝手な解釈の合戦話です。
こちらの話も全然進まないので、記憶だけで記事を書くことに。
たぶん2節終盤まで書いた気がするので、その辺から。
…実際と違うってことがあってもご了承を…。
2節の泰山魏は、終盤もほとんど勝てずじまいで終了でした。
ただ最後の頃は、各連合の錬度も上がり、連合同士の連携も徐々にうまくなったと思います。これから魏が強くなるって予感は十分ありました。終盤戦はそんな兆しがあった気がします

さらに移籍期間に他国からの移動などもあって、3節に入ると、魏は連合も増えて勢力が増大しました。2節にあれだけ負けてたのが嘘のように、勝てるようになっていました

そんな魏についてですが、当時の連合がどのくらいあったのかまではわかりませんでした。でも結構な数の連合募集があったのは見ました。多数の連合の中で、私はこの頃すでに某○神連合に腰を据えて遊んでいました

当時○神連合は単体でも結構な人数だったのですが、他のいくつかの連合と連携を取っていたため、実際にはかなり大きな集団になっていたと思います。
また迅速な行動であちこちで戦闘を繰り広げていた2つの有名な連合さんがいました。他にも大きな連合がいくつかありましたが、当時の私にはどういうタイプの連合さんだったのか把握しきれていません…

とにかく魏全体として見ると層が厚く、神出鬼没の連合もいてとなかなかな大勢力だったと思います

ここで、各連合についての詳細がわからないので、○神連合に関する話でも書いてみます。
私が○神連合にお世話になり始めたのは二節の中盤くらいです。おそらく連合設立からしばらくした頃じゃないでしょうか?○神連合に行きついた経緯は以前にも書きましたので省きます

当時の鬼神連合は、どちらかというと○○ぃ連合さんや○気眼連合さんに近いスタイルだったと思います。どちらも妖術党首の戦法に合わせた連合?だったでしょうか。この時はまだ飛散陣形の祝福が周囲全員対象だったのもこのスタイルだった理由だと思います

当時から妖術をやっていた私にしてみると、凄くやり易い連合スタイルでした。そんな私も最初の頃は党員で遊んでいましたが、気がつくとたまに党首になっていたりもするようになりました。
大事な役を与えられるとやる気が増しますよね

やる気になった私は、先頭気味に特攻してさっさと逃げるの繰り返しをしてました。これをすると余程のことがない限りやられることが少ないからです(名声が高い方は除きます
)そうこうして月日が経ち2節終了になります。そして3節に入った頃か、もしくは3節途中の祝福効果が党員のみに変更になった頃に、○神連合はスタイルの変化が見られました。おそらく連合内に近接職の方が増えてきたのがきっかけだった気がします。
この時のスタイル変化は、双剣党首の戦法である猛進のリキャストに合わせた高速突撃です。これ結構と強かったと思います。連合所属で見ている分には、前線で戦っている双剣さん達が不思議と生き残っていました
(すみません、不思議だったのです
)なので、猛進突撃時にあまりやることない私は、後ろから回復波投げたり浄化で遊んだりしていました
これはこれで楽しかったですね~。…なぜ最前線に立たないのかって…?
臆病だからです、戦法無しで突っ込むなんでできません

それはそうと丁度この頃から、私は第二盟主(後のレーヴァティン)を任されることが増え始めたと記憶してます。きっかけはいくつかあるのでしょうか?
・祝福改変と同時に部曲連合が実装
→私の所属部曲が盟主さんのいる部曲連合に参加
・合戦時に連合へ双剣等の近接職方を積極的に募集?
→本体連合から妖術が切り離し(栄転)されることが増えた
・暗黒時代の影響で魏国の衰退が…
→?
またこの頃、他のサーバの方々が合戦時に参加して下さっていて人数が増えたことで新規一転?など、色々ある気がします。細かいことは気にしない方向で

そんなわけで妖術やっていると突撃時に必ずしも戦法があるって訳ではなくなるので、そのあたりの意識改革が必要にもなりました。
で、役職も変わりスタイル変更にも対応しないといけないため、合戦時のマクロを増やして連合員さんが分かりやすいように努めたり、戦況を理解するために視野を広げるようと色々と見たり考えたりするようになった気がします

失敗するのは怖いことですが、やりがいがあるのは面白いことでもありますよね
(
)そんなこんなで他国のフレさんからも自国の方からも、なぜか硬いと言われるような○神連合に変化しました。これが3節中盤から終盤にかけての話でしょうかー。
ちなみに私の理解では、この数秒間の堅固な守りにより生じた敵のおびき出しが、他の魏連合の突撃タイミングのきっかけになっていたんだと思います。これが魏独特のどこから飛んでくるかわからないホーミングミサイルの如く怒涛の波状攻撃に繋がったのだと勝手に思っています

嘘かホントかわかりませんが、3節の合戦はこんな感じだったと思います。
なんにしても、この頃の連合や自分のスタイル変化については、色々なことを試行錯誤していた時期の1つかもしれませんねー




